地下1階から11階へ ~フリーターから3年で会社社長になった弱虫バンドマン~

26才フリーターで結婚→就職・転職3回→29才起業→30才会社設立…。 美大卒業後、売れないバンドをやりながら、地下1階のパン工場でバイト。その後、結婚。就職・転職を3年で3回し子どもが生まれ自宅の物置部屋で起業。法人化して11階にオフィスを構える。現在は会社経営をしつつ作家活動と育児。凹んでも傷ついても前向きに自分らしく生きることだけは失わないようにしていた、当時の僕と同じような境遇の人たちが、「自分らしい生き方」を手に入れるヒントになれるようなブログを綴っていきたい。

ワインディングロードの予感

小さな商店街のお店に生まれ、
共働きの両親と祖父母に囲まれ大切に育てられた。
特に不自由な暮らしを感じずに十代を過ごした。
学校で嫌なことがあっても相談できる人、逃げる居場所があると幼心にも感じていたのだろう。
何度か辛い時期もあったものの家族に助けられ乗り越えてこれた。

 

ただ、元々の性格なのか、
社会や一部大人に対する嫌悪感が人一倍強く、それへの反発の手段が僕にとって音楽だった。

 

言葉でうまく伝えられないし、
知識の剣を振りかざす能力も持ち合わせてなかったけれど、
詞を歌にして音で伝える自信(思い込み)はあった。

中学から作詞作曲を始め、高校からバンドを組んだ。
しかし、なかなかメンバーの安定がせず、大学に入った理由の大部分が時間を買うためだった。
もちろんそんな理由で入ったから、1年しないうちに、そこにいる理由がわからず、
気づけば教科書やノートは落書きだらけ。

 

今思えば、その落書きがこの道に入るきっかけになったのだった。

ワインディングロードの予感

小さな商店街のお店に生まれ、
共働きの両親と祖父母に囲まれ大切に育てられた。
特に不自由な暮らしを感じずに十代を過ごした。
学校で嫌なことがあっても相談できる人、逃げる居場所があると幼心にも感じていたのだろう。
何度か辛い時期もあったものの家族に助けられ乗り越えてこれた。

 

ただ、元々の性格なのか、
社会や一部大人に対する嫌悪感が人一倍強く、それへの反発の手段が僕にとって音楽だった。

 

言葉でうまく伝えられないし、
知識の剣を振りかざす能力も持ち合わせてなかったけれど、
詞を歌にして音で伝える自信(思い込み)はあった。

中学から作詞作曲を始め、高校からバンドを組んだ。
しかし、なかなかメンバーの安定がせず、大学に入った理由の大部分が時間を買うためだった。
もちろんそんな理由で入ったから、1年しないうちに、そこにいる理由がわからず、
気づけば教科書やノートは落書きだらけ。

 

今思えば、その落書きがこの道に入るきっかけになったのだった。

飽き性と勘違い

転職は3年半で3回。

根っからの飽きっぽい性格(別の言い方では粘り強さがない)と、
強い思い込み(勘違いと言われる方が多い)で、
「もうここはOK!次の段階へいけばもっと良くなれる」と思っては転職していた。
先行って話したいと思うが、独立の理由はただひとつ。
その時、子どもが2才で一緒にいたくていたくて仕方がなく、その欲望を抑えきれず退職。
気がつけば起業・独立という言葉でカテゴライズされる身分になっていたというわけだ。

今思い返すと、
僕がやってきた3社の業種は自分で起業した業種とは少し異なっていて、
起業してはじめて飛び込んだ業種(デザイン業)だった。
ゾクゾクっとするけど、ワクワクの方が大きかった。

だからいまだに失敗をしてから作戦を考えたり、
出来る!と言ってから死ぬ気で調べたり挑戦することを繰り返しているが、
それが楽しいし、自分の会社が成長している気になれる。
少し大げさに例えれば、当時はドラクエでレベルが低いのにどんどん強いモンスターのいる場所へ進んで、
瀕死の状態になっていた感じだ。

現在の話をする前に、
まずは社会人になる前のフリーター時代。
そのまた前の大学時代から話をしていこうと思う。

プロローグ

26才フリーターで結婚→就職・転職3回→29才起業→30才会社設立…。
これが3年半の僕の履歴書。

大学在学中からミュージシャンを目指しをながら、毎朝5時に起きて、自宅から電車で1時間かけてパン屋でアルバイトをしていた。

そこはデパートの地下1階で窓がなかった。
天気が良くても悪くても、朝でも昼でも時間の感覚はなく、唯一時間を把握できるのは、分刻みに決められた製造工程。今、どのパンを作っているかでだいたいの時間が把握できた。そんな感覚さえ身に付いてしまうくらいアルバイトを続けていたのかもしれない。

昼休みはこのデパートの8階社員食堂で自分で作った最高にまずいおにぎりを食べていたが、同じデパートで綺麗な格好をして働く服売場の人たちは、いつも僕が近づくのを嫌がっているように見えた。

どうやら粉っぽいらしい。

腹六分で8階の社員食堂からまた地下1階までエレベーターで降りていく。
「いつか地下を脱してやる。。。」
「景色のいいビルの上層階で、きれいな服を着て仕事をしてやる。。。」
そんな思いをいつもほんのり思っていた。
ほんのり…だったけれど。

ミュージシャンを目指しながらも、その頃はほとんどがバイトか自宅引きこもり。
1週間のうち、3日はフリーター、3日はニート、1日はスタジオ練習。
(もちろん、作曲や楽器の練習はしていた。)
そんな暮らしをこの頃はしていた。

起業、創業・・・。

そんな言葉、知る由もなかった。

むしろ頭の中はいつもデビューという言葉が飛び交っていた。